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インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
天は二物を与えませんが
勉強はできるけど、ゲームセンターの一つも行かずに、つきあいの悪い高校生。

美人でスタイルは抜群だが、ジコチューで友達のいない女子大生。

仕事はできてボーナスもしっかりもらっているが、飲み会にも社員旅行にもいかない勤め人。

会社の業績は好調だが、女癖が悪く、社員に煙たがられる二代目社長。

料理の腕は一流だが、カウンター越しに一言もしゃべらない料理人。

視聴率は取るが、楽屋でスタッフを殴りつける芸能人。

左側が評価基準である以上、右側は目をつぶらないと仕方がない。


社員旅行では宴会部長だが、販売成績がさっぱりな営業マン。

気は優しくて力持ちだが、優柔不断な村長さん。

言語明瞭だが、言ってることが意味不明な政治家。

料理はうまいが、客の前でスタッフをしかりとばして客が寄りつかないオーナーシェフ。

これらの場合は右側の方が大事だから、その人の立場は危うい。


そんな感じになりつつあるんじゃないかなあ、落合監督。
日本代表
素人ながら、日本代表のサッカーは強くなったと思う。

見ていて面白いからだ。

1年前の試合とは明らかに違う。

スカパー!でバルセロナやプレミアリーグを見る機会が多いが、そんな目でも代表の試合は面白い。

今年のワールドカップで強さの兆しを感じ、新たな代表メンバーで希望が生まれている。

日本代表の成長曲線の傾きが変わったのはワールドカップだろうが、そこで突然変異が起こったとは思えない。

Jリーグの継続的な努力、指導メソッドの進化、サッカー協会のマネジメントなど多くの要素が重なり合って今があるのだろう。

つい4ヶ月前はこれらが全く評価されていなかったことを思うと、分からんもんやなあと思う。

成長のポテンシャルがじわっと蓄積していて、それが花開きつつあるのだ。

話変わって小学生の我が子。

中学受験はしないが、せっせと塾通いをしている。

自分の子供の頃の教育環境と比べても随分進化している。

個人指導の塾も人気のようで、脳を鍛えるメソッドもここかしこにある。

教育環境だけ見ると、親子でJリーグ前と後ほどの開きがある。

この状況を基に推論をすると、サッカー日本代表のようにいつか日本人は飛躍的に賢くなるのではないか。

と言いながら、大学授業の経験や知人の人事担当者の意見によるとそうでもなさそうだ。

これは日本全土的に悲観的だったワールドカップ前の状況と同じなのか。

これから本田が現れ、香川が現れるのか。

ビジネスの引退年齢はサッカー選手より30年は遅いので、私もまだ代表入りを狙って精進しようと思う。
ウーノと尖閣諸島
ウーノというカードゲームがある。

6年生の子供がスキー遠足や修学旅行などの宿泊イベント用に勝ってきた。

4色のカードに数字が書いてあるトランプに似たカードゲームである。

トランプと違い、決められた遊び方で遊ぶ。

ルールが簡単で小3の下の子も遊べるので家庭でも重宝している。

勝利のこつは4色のカードに偏りがないように手札を減らしていき、効果的に特殊の機能を持ったカードを使うことだ。

たとえば手持ちのカードが赤に偏っていると、青や緑が出されると手札を減らせない。

○○しかない、というのは不利なのだ。

これは、多くのゲームに共通する特徴である。

競馬も1点張りでは勝ち目は薄く、株式投資でもポートフォリオが基本だ。

常に代替案を持つこと、交渉学の教えもまさにこのことである。

目の前の予想交渉結果と代替案による効用予測を比較する。

代替案が魅力的であればあるほど交渉は強気で出られる。

強気とは負けても良いという選択肢があるからこそ得られる交渉方針である。

代替案がないことは、その時点で負けである。

多くの日本企業は、現在新興国需要頼み。

中国、インド、中東の方々にどれだけ買っていただけるか。

その中でもリアルな需要としての中国は絶対的である。

これまで世界を支えていた米国は失速したままだ。

中国にそっぽを向かれたら日本に代替案はない。

日本にそっぽを向かれても、中国に求愛する国はいくらでもある。

中国との交渉ごとは、この力学が働く限り、誰が首相であれ、検察が三権分立をふまえていようがいまいが、まともにやれば同じ結果になる。

日本は新たな恋人を探さなければいけない。

中国のふんどし「だけ」で相撲を取らないようにすることだ。

そして、一番良いのは内需を立て直すことだ。

交渉上手を目指すより、まず経済施策である。。
世界柔道
柔道の世界選手権をテレビで見る。

民放のアオり満点のアナウンスに辟易するが、格闘技と思えばこれもアリだとは思う。

少なくともプロ野球の何の工夫もない解説よりは良い。


日本人にとって柔道は勝てばいいってもんじゃない。

綺麗な一本勝ちをしてこそ柔道だ。

ルールがどうであれ、一本勝ち、それも綺麗に相手を背中から落とすことを期待する。

見え見えの判定狙いの柔道では日本ではヒーローになれない。

まず誰もがイメージする型があり、ルールを超えてその型を目指す。

柔道が日本人のものであることのゆえんである。

野球やサッカーは違う。

私たち日本人は与えられたルールの中で最大限有利になるように知恵を重ねる。

ピッチャーが思いきり投げて、バッターが思いきり打つ。

これはアメリカの「型」であり、日本人はもっと策を使う。

流れるようなパスをつなぎ、個人技を見せつけ、強欲にゴールを狙う。

ブラジルのサッカーの型である。

ルールに振り回されるのではなく、世代を超えて型をイメージしてそこへ向かう。

このような組織の底力は他を寄せ付けない。


経営にとってのルールは財務的成果である。

だからといって、そのルールのみに行動基準を置くのは、一本勝ちを目指さない柔道と同じだ。

税法がどうだ、IFRSがどうしたと振り回されているようではだめだ。

自分にとっての経営の型はなにか。

自分にとっての真善美はなにか。

これをつくるのが経営リーダーだ。


それにしても、外国人同士の決勝戦は全く扱わないというテレビ局の姿勢もはっきりしている。

視聴者は日本人だから、ターゲティングのセオリーには合致している。

しかしながら、スポーツをレスペクトするという、精神の「型」がなさ過ぎやしないだろうか。
木曜日と金曜日をいかに過ごすか
安藤百福氏は、チキンラーメンの開発のため、自宅に1年間こもりきりになった。

松下幸之助氏は、作ったことのない電灯ソケットを見よう見まねでつくったが、ろくなものはできなかった。

水木しげる氏は、気持ちの悪い絵をコツコツ描く貧乏な漫画家だった。

成功した未来から過去を眺めれば実直な努力であっても、その渦中にあっては世間の常道からはずれた変人である。

変人を偉人に変えるのは、ただ一つ。

結果を出すことである。

岡田監督、圧倒的不人気から、結果を出して評価はV字回復。

これが市場主義、成果主義の清々しいところである。

結果がそれまでの過程の評価を変えるのだ。

今がだめでも次がある。

「最後に成功すればよい」

ナイキ創立者のフィル・ナイト氏の言葉だそうだが、大前研一氏を通じて小生の頭に刷り込まれた。

今に見ていろ、コンチクショー。

これが経済発展の原点だ。


スカパーでプレミアリーグやスペインリーグを見る機会が多少あり、Jリーグブームに乗って草サッカーチームの一員だったことがあるごく普通の47歳にとって、ワールドカップの紀元ゼロ年はドーハの悲劇だ。

それまでは全くの異国の大会であり、ペレやマラドーナの映像も、ラスベガスのマジシャンと同等であった。

その舞台が現実のリアリティを持って現れたのが94年アメリカ大会予選。

「アメリカに行こう」のキャッチフレーズを未だに鮮明に覚えている。

ドーハでのイラク戦、後一歩で夢のような舞台に立てるであろう高揚感と、ギリギリのところで奈落の底に落とされた絶望感を、僕らの世代は忘れることがないだろう。

まだワールドカップの切符は許されなかったのだ。

そのあまりに厳しい試練を通り抜け、ニッポンは4大会連続出場の常連国となった。

途中、タレントと自国開催の幸運が重なったベスト16、楽天的指揮官に踊らされたドイツでの惨敗と、記憶に残る歴史が着実に刻まれている。

そして今回、圧倒的不信任を抱えて突入した岡田ジャパンが、カメルーンを破り、いいニュースのなかった日本に驚喜をもたらした。

他国の開催で、はじめてもぎとった勝利。

6月14日は、はやぶさが無事帰還したニュースと合わせ、日本が盛り上がった歴史的一日として記憶されるだろう。

ドーハで負けてから17年。

いかに立ち上がりの数分間が危険な時間か、ロスタイムを終える笛が吹かれるまでは何が起こってもおかしくないことを私たちは知っている。

そのことにより、私たちはワールドカップに参加することを許されているのだ。

ポジティブな可能性をもとに第3戦を迎えられるのは、なんと幸せなことか。

木曜日と金曜日の仕事をどのように調整するか。

今週のビジネスパースンの手腕がそこに問われることは間違いない。

岡田監督および選手の皆さん、これだけ日本を盛り上げてくれて切に感謝申し上げます。
国母選手の腰パン問題
上村愛子さんのモーグルは外出していたので見られなかった。

最もチェックしたのがtwitter。

朝日新聞サイトとかではなくて、一般の人の書き込み。

4人残して2位になってからのハラハラドキドキが手に取るように伝わってきた。

ニュースサイトやTV放映でさえもこの雰囲気は出せない。

改めて140字以内で誰でもかれでも発信できる仕組みを作った方に感謝。

ちなみに、愛子さんの公式サイトの文章は見事。感動します。


さて、国母選手の腰パン問題にひとこと。

報道を聞いたときは、子供のような選手がなにをしょうもないことを、と思った。

国を代表しているのだから自覚を持ってシャキッとせえと。

しかしながら、twitterの議論なんかを見ていると、本人次第なんだからいいんじゃない、という意見も。

確かに昔は軍隊のように歩いていたのに今はバラバラだし、カメラを持ち込んでいる人もいるし、事の善悪は相対的なものである。

とは言っても、たむらけんじのように裸でネクタイというはいただけないので、何でもありというわけにはいかない。

こういう議論は、白黒デジタルで考えるのではなく、程度の問題として、どこまでなら許容するかという社会の基準を議論すべきである。

ということで、画像をチェックしてみた。(朝日新聞社のサイト)
OSK201002120027.jpg

う~ん、許容範囲じゃないかな、というのが個人的意見。

むしろ格好いいんじゃないか?

彼の普段着を見ている関係者も、実はそう思っていたのではないか?

ネクタイも一応しているし、許容範囲かなと。

それが、そう思わない(エライ)人から指摘されて、「いや、私もけしからんと思っておりました」という態度になったのだと思う。

こういう場合、組織の力学は異端児を除外するように機能する。

大企業の中の新規事業担当者と同様である。

これは古今東西の原理なので、糾弾されたときには神妙な顔つきをする、ということしか対抗策はない。

少なくとも、人生にとって重大な問題でなければ。

国母選手のミスは、事後の記者会見にあったというべきだろう。

しかしながら、ちょっと騒ぎすぎだ。

東海大学が応援会を中止するそうだが、過剰すぎないか。

自分の20代を考えると、同じことをやらかしても不思議はないので、応援したいと思います。
部下の失敗
部下がとんでもないへまをやらかして、会社中が上に下にの大騒ぎになったとき、まともな上司なら知らぬ存ぜぬとは言わないだろう。

例えその部下がとんでもなくアホで勝手に動いたミスであっても、私は知らなかった、とは言えない。

無責任で部下の面倒を見ないひどいやつというレッテルを貼られ、自身の立場がないからだ。

ところが、そのミスが刑事事件になるような大事件だと、私は知らなかった、という立場は許される。

そのときの上司の気持ちは次のどれかだろう。

(1)あいつはとんでもないことをした正真正銘のバカだ。俺や会社を騙してこんな迷惑をかけやがって。顔を合わせたらぶん殴ってやる。

(2)何となくこんなことになると思っていたよ。あの時もっと確認しておけば良かった。こんな致命的なエラーを俺ともあろうものが見逃すなんて。ああ、情けない。

(3)あいつが悪者になっているのは仕方がない。本当は俺の指示だが、それを言うと会社がひっくり返るから、あいつに罪をかぶせよう。今後は一生面倒を見てやらないと行けないな。

さて、与党幹事長氏の胸の内はどれだろうか、気になるところではある。

まあ、小生的には過去のことの償いより、次の選挙の数勘定をするより、この国の産業の構想と施策にエネルギーを割いていただきたいものだ。

法人税や為替など、一企業の努力ではどうしようもないことが多々ありますので。

ホント、結構まずい状況だと思いますよ。