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幸之助翁と百福翁
経営の偉人から、現代に生きるわれわれが何を学ぶか。

先日、関西同友会の第1回NCB経営塾で、大阪が誇る経営の偉人、松下幸之助翁と安藤百福翁の創業の経緯をお聞きする機会を得た。

今となっては偉人でも、創業当時は僅かな成功の可能性に賭けた相当の変わり者である。

僕らは彼等が結果的に成功したからこそ、彼等から何かを学びたいと思っているのだが、学びの焦点はむしろ成功する前の時点に当てたい。

成功する寸前の状況を知り、そこから成功に至る要因を抽出し、それを現代のわれわれに応用することで、成功の確率を高めようという魂胆である。

成功と不成功の境目はなんだろうかという探索思考になる。

果たして、そんなものが少数の事例から帰納的に抽出できるのか?

普通に考えれば絶望的だ。

実証主義的なアプローチであれば、相当数の成功者の行動と不成功者の行動を比較し、有意な差を見つけることが必要になる。

ところが、今回の成功者のn数は2であり、そこから何かを学ぼうとすると別のアプローチを取らざるを得ない。

幸運なのは、不成功者(未成功者)のn数はすでに確保されていることだ。

不成功者(未成功者)一般の行動パターンは漠然と知識として格納されていることを前提として、そのパターンから逸脱した行動・思考を成功の要因とみなすことにしよう。

このアプローチは、大いに自分の主観に頼ることになる。

自分の既存の主観から逸脱したものが発見できれば、その発見概念に少しでも近づこうとする意識が働き、多少の自己変革につながるだろう。

さて、そんな前提の上で、松下幸之助翁と安藤百福翁である。

以下は成功者一般の普遍的知識を構築するわけではなく、ある特定の事例に感化された、極めて個人的な気づきメモである。(二人に共通するものもそうでないものもある)


1.会社勤めではなく、「事業を興す」という選択肢が自然にある。

幸之助は、病弱で会社を休みがちだった。体が弱いから、比較的自由に働ける事業をやる、という逆転の発想だ。

自己実現としての起業なんて力みは全くない。

自由な働き方としての事業、社会全体を上司とする、顧客を上司とする働き方の選択肢である。


2.10代の早いうちに「商売」を体験している。

当たり前だがMBAなんぞ出ていない。

中学生くらいの時期に奉公に出て、商売の精神を身につけている。

その位の時期に一度目の社会経験をし、二十歳くらいで自らの指針を持つ。

現代なら、大学を出て一度目の社会経験をし、30代・40代で次の指針を探す。

家庭があるからとの口実で冒険を封印する。

アルバイトとは違う、経営に寄り添う経験をなんとか10代にさせたいものだ。


3.技術は後からついてくる

幸之助はソケットのアイデアはあったが技術はまるでなかった。

百福は池田の家にこもってチキンラーメンを研究した。

それがあれば売れる確信はあったが、それを作る技術は全くなかった。

マーケット・イズ・キングである。

社会に生き、社会に貢献できるという信念が、技術の担い手を結果として呼び込むのである。


4.最初から明解な構想などある訳がない

端から見ると、起業は無謀な船出である。

最初から戦略などある訳がない。

事業規模が大きくなるに連れ、社会的責任を感じ、組織の器に見合ったものの見方ができてくる。


5.市場の環境により行動のタイプが異なる

幸之助は、エレクトロニクスというとてつもない成長産業にあって、どんどん製品を改良し、製品ラインを拡大していった。

新たな機能を開発することが、成長のエンジンだった。

百福は、食という、嗜好が保守的でいつの時代にあっても競合が激しい業界で、儲かる仕組み=ビジネスモデルを意識して経営をした。

理論肌の幸之助と、根っからの企業家の百福の違いもあるかもしれない。


さらに、お二人の共通点には、90年を超える人生を歩まれたこともある。

事業を拡げて後輩の活躍の場をつくり、長く元気に仕事を続けたいものだ。
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人格を結晶化しないように
ある一人の人物を正確に記述しようとするとすぐ壁にぶち当たる。

人は誰でも怒りっぽい面もあれば、優しい面もある。

怒る時もあるし、優しい時もあると言った方がいいだろう。

短気が表に出た自己主張の激しいシーンもあれば、優柔不断が隠れた気の長い我慢の場面がある。

人間は複雑だから、いろいろな顔を持つ。

単純な言葉のイメージの中に押し込まれることを拒絶する。

周りの人間は、その人が今日はどんな人間として現れるかを瞬間的に察知し、それに対応しながら関わりを持つ。

新たな関係が常に生まれ、消え、また新たな関係が生まれる。

そうやって共感したり、感謝したり、反発したりして互いの人生を編み上げていく。

人生がどんな織物になっていくかは、過ぎてみないと分からない。

一人の人間が亡くなると、残ったものは、もうそのような動的な関わり合いが持てないことにはたと気づく。

もっと関わりたいから、その亡き人の仮の姿を頭に描き、その人と対話することになる。

このときに、冒頭の難しさが頭をもたげる。

人間は複雑すぎて、一つの人格として頭に格納するのはとても困難だ。

かくして、人間の情報処理限界を克服するために、「あの人はこういう人だった」というコンセプトを逆算的に作り出す。

死んだ人にキャラ付けをするのだ。

マイケル・ジャクソンはこのメカニズムで生前の醜聞を覆い隠し、良き伝説になった。

生きている側からの一方的なコミュニケーションが可能なように、その人の人格を結晶化する。

「私の履歴書」に登場中の下村先生はクラゲから発光体の結晶を抽出するのが仕事だったが、人間の人格についてはそうすることが良いとは限らない。

なるべく結晶にならないように、ナマのままで頭の中に保存しておきたい。

そうすることで想像上のコミュニケーションの多様性を確保しておきたい。

父の冥福を祈る。
部品コンセプト
ユニクロの躍進は、衣服の部品であると定義したことに因る部分が大きい。

全身をユニクロで固めることを最初から想定せず、Tシャツだけさりげなく、目立たないように忍び込ませるのが狙いだ。

コーディネイト販売を基本とする一般的なアパレルブランドとの違いである。

強く主張するのではなく、目立たないけど不可欠なバイプレーヤー(助演)として存在する。

ユニクロの賢いところは、自己表現の中核となるいわゆる「ブランドもん」のポジションを捨てたことだ。

バイプレーヤーのポジションを取ることで、多くの人の需要をものにした。

それまでもスーパーではバイプレーヤーの位置づけになりうる服が売られていた。(もちろん今でも)

でもそれらでは役不足感があり、そこをうまく突いたのがユニクロだ。

バイプレーヤーにちょうど良い品質感とメジャー感を目指したのだ。

その点、MUJIは主役の匂いを漂わせている。

ライフスタイル提案の主張がある。

「ブランドもん」の服は、それら同士がライバルになる。

コンセプトを練り込み、他のブランドもんよりも歓心を買うことを狙っている。

ユニクロは他のどんなブランドとも仲良くお友達である。

なんせ部品、あるいは衣服のインフラなのだから。

部品コンセプトは、主役は着る人であるという当たり前のことを思い返してくれる。

主役級ブランドは、時として着る人を征服してしまう勢いで迫ってくる。

ブランドの傘に征服されることを望む人には有効だが、知識武装した「プロシューマー」には通用しない。

知識を持った買い手は、さまざまなものを組み合わせて自分で価値を創造する。

iPhoneも持つし、レッツノートも持つし、ポメラも持って、デジタルな仕事ライフを実現しているのだ。

買い手が主役であるとの前提を置くと、すべてのモノやサービスは部品である。

売る側は、わが商品は他の商品とどのような補完関係を持つかを考えなければならない。

いかに買い手にとって使い勝手の良いユーティリティプレーヤーになるかを考えるべきなのだ。

ドリブル突破一辺倒のクリスチアーノ・ロナウド型ではなく、周りを活かすメッシ型やイニエスタ型が求められているのだ。

自分の価値を規定しすぎないこと。

自社と他社の商品が混じり合っている買い手の世界に、いかに参加するかを考えること。

買い手の利用価値を規定し過ぎずに、柔軟性を確保した状態で、最終的には買い手に価値創造を委ねる発想が必要だ。

売り手は価値の提案をすることはできるが、価値そのものを創るのは買い手その人である。

その買い手のクリエイティブな作業にいかに参加できるか。

この精神が「サービス・ドミナント・ロジック」の神髄である。
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