FC2ブログ
インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
ペットとしてのiPad
とんぼ返りの出張から帰ってくると、お待ちかねの小包が届いていた。

2010年5月28日、米国以外で一斉にiPadが発売され、荷物もそれに合わせて届けられたのだ。

メールをささっと打って、トイレに行って用をたし、コーヒーを入れて準備万端。

オフィスの仲間二人が見守る中、代表して封を開ける。

一つの商品を手にするのに、これだけワクワクするのはいつ以来だろう。

ま、多分に報道に踊らされているだけなんですがね。

1日ほど使ってみた感想。

キーボードがないと、画面が近い。

字もでかいし写真もでかい。

画面との距離感が新鮮だ。

本や新聞や雑誌に充分なる。

試しに買った1600円の元素図鑑は噂に違わず素晴らしい。

こりゃあ紙の本は大ピンチだ。

でかい画面を手で触りながらの操作は、まるで素手でカレーを食べる感じ。

iPhoneと同じなんだけど、画面が大きくなると全く違う経験になる。

手描きメモもいける。

これも指でやるので、原始的な感覚だ。

仕事で使うのはまだちょっと勇気がいるけど。

とにかく両手でベタベタ触りまくる。

さらに足の上に乗っけるので、スキンシップが濃い。

ペット感覚だ。

ただし指紋は強烈につく。

まめに体を拭いてあげなきゃ。

さて、次はこの子にどんな服を着せてあげようか。
スポンサーサイト



サービス・ドミナント・ロジック
サービス・ドミナント・ロジック(SDL)についてお友達と勉強会をしたので、忘れないうちに備忘録。(ちょっと理屈っぽいです)

「モノ」を前提とした「グッズ・ドミナント・ロジック(GDL)」が現代のマーケティング論の主流。

そうではなくて、世の中の商売はすべてサービスと考えた方が説明が付きやすいというのがSDLの主張。

ドミナントという言葉は、支配的、統一的、包括的というような意味なので、経済をモノの動きで見るより、サービスの交換過程と見た方が何かとアイデアが湧きやすいというとだ。

漁師が魚を捕り、猟師が猪を撃つ。

魚と猪を交換すると考えるのがGDL。

魚を捕るノウハウ・技術と猪を撃つノウハウ・技術を交換すると考えるのがSDL。

海の漁師に代わって獣を撃つサービスを提供しているのが山の猟師、という考え方である。

さらに山の猟師は海の漁師の食卓に貢献しているわけで、献立提案サービスや健康促進サービスをしているとも考えられるのだ。

自動車メーカーは自動車という「モノ」を売っているんじゃなくて、移動やレジャーやコミュニケーションを提供する。

時計メーカーは規律のある生活をサポートし、待ち合わせというコミュニケーションを演出し、アクセサリーとしてライフスタイルやステイタスの提案ビジネスになる。

このあたりまでは、単なる販売活動ではなく、お客さんの問題を解決する「ソリューション活動」に転換しないとね、という文脈と同値である。

今のところの小生が理解したポイントは、「お客さんは価値を作り出すパートナー」と言う考え方だ。

商品を企画する際、「老舗旅館のようにおいしく米が炊ける炊飯器」などのような提供価値を定義する。

SDLでは、それはあくまで提案のレベルであって、実際にお客さんが使った時点で価値が生成されるのだから、売り手とお客さんの共同作業なのだと。

洗濯機でも、携帯電話でも、なんでもかんでも、お客さんが実際に利用した瞬間が価値創造の瞬間なので、あらゆる商品に当てはまる話だ。

研究開発の担当者や、工場のスタッフや、営業パーソンと同様に、お客さんも価値を生成するパートナー(それも決定的に重要な)であると見なし、それを前提にコミュニケーションを図らなければいけない。

お客さんはパートナーであり、情報はできるだけガラス張りにして腹を割ってコミュニケーションすべきである。

それゆえ、顧客は経営資源とみなされる。

経営資源というワードが適切かどうかは議論があるが、長期的に関係を持ち、長期的に利益を生み出す仲間とみなすということだ。

顧客と良い関係を築き、顧客の現場で何が起こっているかに焦点を合わせる。

まことに正しく、肝に銘じるべき考え方である。

さて、ここからは私見。

こういう風に考えていくと、企業の楽屋裏と表舞台の境がどんどんなくなっていく。

DVDでもメイキングが入っているのが当たり前の世の中なので、製品も開発会議や製造現場の苦労が描かれたメイキング映像が公開されていくのかも知れない。

そのうち、開発会議参加ツアーや製品改善コンテストなんかも企画される。

売り手が正直に手の内を明かすようで、実はその手の内も編集されて、心地よいエンタテイメントとして買い手に提供される。

仕事のプロセスがショーになる。

しかし、真のヒーローは違う。

勝負はグランドかリングの上で、その勝負だけで人々を魅了する。

タイガーマスクが、実は心優しい伊達直人だとは誰も知らないのだ。

プロセスがガラス張りになる潮流の反面、実は素人が辿り着きそうもないマジックも期待されている。

全く手の内を見せず、最後に鳩だけを取り出して観客を唖然とさせる。

それがスティーブ・ジョブズのやっていることだと思う。

秘密主義を貫き、自前のハードとソフトにこだわり、アプリを検閲する。

批判もあるが、確かな価値を提供している。

情熱大陸の取材は断り、陰の強烈な努力や見栄や意地や恐れをおくびにも出さない覆面レスラーの出番だってまだまだあるはずだ。

ロマンチック過ぎる考え方だろうか。
せんとくんのケース
奈良へ向かう近鉄線界隈のいたるところに、奈良遷都1300年祭のキャラ、「せんとくん」がいる。

今でこそメジャー感漂うスペシャルキャラだが、登場したときの批判は記憶に新しい。

2008年3月のyahooのアンケートでは支持率19%。

今でも見ることのできるコメント欄は可哀想なくらいボロクソである。

そこから見事に人気を挽回した。

人気急上昇の理由として挙げられているのが、批判騒動がマスコミの露出となり、告知効果があったというものだ。

広告代理店がここぞとばかり強調したいことだろう。

また、キャラクター自体がインパクトがあったことも言われている。

インパクトがありながら、見慣れるとかわいらしく思えてくるデザイン。

追い風だったのは、対抗馬で出てきた「まんとくん」「なーむくん」の弱さ。

さらに、批判があったが故に、守ってあげたいという母性本能のくすぐり。

「世間標準からはずれたインパクトあるキャラ」+「論争による認知度アップ」=「メジャー感ある親近感の醸成」という公式が導かれる。

最近話題の有名人でこの公式に乗っている人は少なくない。

勝間さん、ホリエさん、エリカ様?などなど。

心に引っかかりを作って認知を上げるには論争を起こすことが大事なのだ。

上手にライバルを作って、それらを論破していく。

もちろん、論争を勝ち抜く力は必要だ。

これをみんな実践し出すとなんとも脂っこい世の中になる。

「わびさび」とは無縁の社会になっていくのだろうか。

多分、なる。

せめて、男は黙ってサッポロビールな人の美徳も大事にしていきたいと思う。
TUMIの呪縛
駆け出しの頃、思い切ってゼロハリバートンのアタッシュを買った。

30そこそこの人間にとっては「有能」の象徴だった。

開けるときにパチンとロックが跳ね上がるアクションがアドレナリンを喚起した。

致命的な欠点は重いこと。

PC持参の時代になり、格好良さよりしんどさが先に立つようになった。

そこで軽くて容量の大きいカバンを探すことになった。

40前の人間にとって「機能性」の象徴がTUMIだった。

まだバカ高いイメージを残している時期に、ネットの通販で7掛けで買った。

これは良い買い物で、10年近く現役続行中である。

これでカバンに悩むことは一生ないと思ったが、問題が発生した。

あまりにも持っている人が増えたことである。

小市民のささやかな優越感が希薄になり、愛着が減ってきた。

なかむらさんから「随分年期はいってますね」と言われたことも契機になり、にわかに新たなカバン探しのスイッチが入ってしまった。

ゼロとTUMIを手にしたらもう次はないだろうと思っていたが、消費文化に冒された人間はそんなに単純ではないようだ。

さて、今度はどんなカバンがよいか。

ブランド、大きさ、キャスターの有無、使い勝手、出張用か普段使いか、などなど。

そもそも使用目的が定まらないので問題が明確に定義できない。

買い換え目的もなんだかよく分からない。

世の中の多くの問題は、何が問題かよく分からないことだ。

しかも、さらなる決定的な困難がある。

機能性を採るとナイロン素材になり、必ずやTUMIもどきのものになる。

TUMIは実にすばらしいポジションを得たものだ。

ナイロン素材のカバンをTUMIとそれ以外にカテゴライズしてしまった。

TUMIの仲間になるか、それ意外か。

そのような支配者の呪縛から抜け出ることはできるのだろうか。

TUMIの洗脳から抜け出すのは容易ではない。

似たような素材で安いんだからいいじゃん、とはならないのである。

かくして、同じような呪力を持つ製品に出会うか、こちらが勝手に呪いをかけて新たな宗教をつくり出すかのどちらかが迫られる。

考えすぎてヘンテコなカバン持ってたら、呪いがかかっていると思ってください。