インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
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完全数
小川洋子氏の小説『博士の愛した数式』に、「完全数」という言葉が出てくる。

それ自身を除いた約数の和がそれ自身の数と等しい数のことである。

すごく難しいことを言っていそうだが、割と簡単な話で、例えば6は完全数である。

約数の1,2,3を足すと6になるからである。

28もそれに当たる。

1+2+4+7+14=28である。

小説では、この数字を背負った江夏投手が特別の存在として扱われている。

ちなみに、小学5年生の時に少年野球チームに入れてもらったときの最初の背番号もこれであった。

当時の28番と言えば、巨人の新浦投手だったが。

それはどうでも良いことで、言いたいのは、ただの数字でもいろんな理由でユニークな特徴があるということだ。

他にも「友愛数」とか「社交数」とか、いろいろあるようで、興味ある方はグーグル様にお聞きになると良い。

さて、特徴のあるキャラの濃い数字がいろいろあるということは、それ以外の「何ら変哲のない数字」というのも存在するということだ。

最近、芸能人で誰が歌が一番下手かという全くお下劣な番組をやっていたが、数字の世界でも、どの数字が最も面白くないかという見方が数学者の中ではあるらしい。

ところが、最も面白くない数字というのは、最も面白くないという意味において極めて特徴的だという言い方が可能になる。

そんなことが数学の本に書いてあった。

したがって、どんな数字でもキャラがあるわけで、それを自覚して生きると楽しい人生になるわけだ。

数字には人生がないが、何事も見方を変えると特徴が見えてくる、ということだ。

「私には特徴がない」「自社の製品にはこれと言った特徴がない」「自社は平凡な会社だ」「私の所属している営業地域は他の地域に比べて特徴がない」

このような見解は、結局深く考えていない、ということである。

抽象概念である数字にだって特徴があるのだから、リアルな世界に特徴がないわけがない。

いろんな人にあったり、いろんな地域に行ったり、いろんな事業を研究したりすれば自身の特徴が浮かび上がる。

金曜日の研修で伝えたかったことはこういうことです。
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マリオカートの意思決定問題
Wiiのソフトの「マリオカート」と「バンクーバーオリンピック」を比較して、娘はあっさり「マリオカート」を選んだ。

何かを選ぶと言うことは、同じ軸の上に並べて比較するという作業が発生する。

残業すべきか飲み会に参加すべきか、一人で自転車で淀川を走るか子供と遊ぶか、携帯を新しくするかポメラを買うかなど、選択肢が異質な対象でも、何かを選ぶ際には強制的に同じ軸の上に乗せなければならない。

同じ軸の上に乗せるということは、すなわち定量的に評価するということだ。

具体的な数値になっていなくとも、選択肢の効用の大小が判定できる程度に必ず定量化しなければならない。

A>B。したがってAを選択する。

代数の世界である。

娘が誕生日プレゼントを選択する場合は、A>Bという抽象代数のレベルで問題はない。

しかし、それが組織的な意思決定となると、なぜA>Bなんだ、という説明が求められる。

「マリオカート」と「バンクーバーオリンピック」のNPVを算出せよ、という問題になる。

娘は「マリオカート」が欲しいので、NPVでも明らかに有利になるように数字をはめ込む。

抽象代数を初歩的な算数に展開して、頭の固い親が理解できるように上申する。

親は、その数字はもともと「マリオカート欲しかったからちゃうの?」と疑問をぶつける。

いやいや、マリオカートの方がルールが簡単で友達も参加しやすいし、ハンドルもついてて盛り上がれそうだからキャッシュインが大きいのだ、と娘は言う。

しかもオリンピックもんはすぐ飽きるので償却期間が短いと決定打を出す。

なるほど、そういうことなら納得だ、と稟議が通る。

かくして、娘の頭で瞬間的に判断された事項が、時間と労力をかけて組織的に了解される。

数字の大小なら小学生にも分かる。

問題は、その数字を導いた筋道に納得感があるかどうかだ。

納得感は、意思決定者の知識や経験や好みなどに左右される。

勘の悪い親だと、来年の誕生日まで細かい説明を求めるかも知れない。

組織の中で「親」の立場の人は、誕生日プレゼントは誕生日に間に合うようにご注意いただきたい。
国母選手の腰パン問題
上村愛子さんのモーグルは外出していたので見られなかった。

最もチェックしたのがtwitter。

朝日新聞サイトとかではなくて、一般の人の書き込み。

4人残して2位になってからのハラハラドキドキが手に取るように伝わってきた。

ニュースサイトやTV放映でさえもこの雰囲気は出せない。

改めて140字以内で誰でもかれでも発信できる仕組みを作った方に感謝。

ちなみに、愛子さんの公式サイトの文章は見事。感動します。


さて、国母選手の腰パン問題にひとこと。

報道を聞いたときは、子供のような選手がなにをしょうもないことを、と思った。

国を代表しているのだから自覚を持ってシャキッとせえと。

しかしながら、twitterの議論なんかを見ていると、本人次第なんだからいいんじゃない、という意見も。

確かに昔は軍隊のように歩いていたのに今はバラバラだし、カメラを持ち込んでいる人もいるし、事の善悪は相対的なものである。

とは言っても、たむらけんじのように裸でネクタイというはいただけないので、何でもありというわけにはいかない。

こういう議論は、白黒デジタルで考えるのではなく、程度の問題として、どこまでなら許容するかという社会の基準を議論すべきである。

ということで、画像をチェックしてみた。(朝日新聞社のサイト)
OSK201002120027.jpg

う~ん、許容範囲じゃないかな、というのが個人的意見。

むしろ格好いいんじゃないか?

彼の普段着を見ている関係者も、実はそう思っていたのではないか?

ネクタイも一応しているし、許容範囲かなと。

それが、そう思わない(エライ)人から指摘されて、「いや、私もけしからんと思っておりました」という態度になったのだと思う。

こういう場合、組織の力学は異端児を除外するように機能する。

大企業の中の新規事業担当者と同様である。

これは古今東西の原理なので、糾弾されたときには神妙な顔つきをする、ということしか対抗策はない。

少なくとも、人生にとって重大な問題でなければ。

国母選手のミスは、事後の記者会見にあったというべきだろう。

しかしながら、ちょっと騒ぎすぎだ。

東海大学が応援会を中止するそうだが、過剰すぎないか。

自分の20代を考えると、同じことをやらかしても不思議はないので、応援したいと思います。
破談
サントリーとキリンの合併話を阪神と巨人の合併に例える記事を以前書いたが、個人的にインパクト大きく、昨年のビジネス界の私的トップニュースだった。

サントリーのような非上場同族企業=立憲君主制的で個性の強い組織と、財閥系近代官僚組織(のように見える)キリンビールが良くもまあ、結婚することになったと。

伝統的な日本企業の生き方と随分違う意思決定に驚きがあり、ある意味の新しさ、未来性を感じたのだった。

のほほんとした二代目企業もうかうかしてられないぞ、と。

グローバルな市場競争のためには、そのような情緒的な違いを超える論理性を重んじる必要があるのだ。

ところが、世紀の縁談はあっけなく破談になった。

貴乃花と宮沢りえの破談と同じくらい残念だ。

サントリーの創業一族の株式保有比率という根本的な争点で折り合わなかったらしい。

資産評価や戦略方針という次元ではない、根本的なガバナンスの思想が違ったのだ。

とても初歩的な問題で、それを了解せずに今まで何を議論していたのだろう。

なんだか、とても日本的なお話だ。

結果的に、市場環境よりも、組織内部の統治の問題を優先した。

それらを逆転させた戦略的な意思決定だったがゆえの関心事だけに、正直拍子抜けである。

資本の論理を採らずに、組織マネジメントの一貫性を優先した判断はきわめて日本的であり、今後の動向は世界の注目の的になる。

私たち日本人としては、世界での戦い方を構想するための、典型的なケースとして注視すべきだ。

規模の競争が激しい世界の食品業界をどう勝ち抜くか。

他の誰かと結婚するのか、一匹狼として業界から破門されるほどの賭けに出るのか。
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