インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
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雨乞い
今日の天気予報は午前中曇り、午後から雨。

自転車に乗るなら午前中しかなさそうだ。

朝起きると、これぞ曇りのち雨の空。

今にも降るぞ降るぞとばかり、鼠色の低い空が重たそうに覆い被さっている。

水をいっぱいに含んだスポンジのような雲だ。

自然的要素とは別に、今日自転車に乗るにはもう一つハードルがある。

妻が市の音楽会のようなものに出るので、見に来てビデオに収めて欲しいと言われている。

正確に言うと「言われてはいない」が、そのような電波が明確に発信されているのだ。

いくらチューニングしてもかすかに聞こえてくるプロパガンダ放送のように。

音楽会と自転車はトレードオフ関係にあり、かつ私にとっての効用関数は明確である。

しかしながら、数学的に意思決定できないのが人間社会の奥深さだ。

いずれにしろ、阪急線の駅までは車で送り届けなくてはいけない。

追い打ちをかけるように、送り届けた後に洗濯物干しを命じられる。

自転車に許された時間がどんどん削り取られていく。

意思決定を先延ばしにしたまま地下の駐車場に車を取りに行く。

地上に出てみると、早くも雨が降り出していた。

これで自転車を諦める十分条件が揃い、今日為すべきことが確定した。

きっと誰かが雨乞いしたに違いない。
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部下の失敗
部下がとんでもないへまをやらかして、会社中が上に下にの大騒ぎになったとき、まともな上司なら知らぬ存ぜぬとは言わないだろう。

例えその部下がとんでもなくアホで勝手に動いたミスであっても、私は知らなかった、とは言えない。

無責任で部下の面倒を見ないひどいやつというレッテルを貼られ、自身の立場がないからだ。

ところが、そのミスが刑事事件になるような大事件だと、私は知らなかった、という立場は許される。

そのときの上司の気持ちは次のどれかだろう。

(1)あいつはとんでもないことをした正真正銘のバカだ。俺や会社を騙してこんな迷惑をかけやがって。顔を合わせたらぶん殴ってやる。

(2)何となくこんなことになると思っていたよ。あの時もっと確認しておけば良かった。こんな致命的なエラーを俺ともあろうものが見逃すなんて。ああ、情けない。

(3)あいつが悪者になっているのは仕方がない。本当は俺の指示だが、それを言うと会社がひっくり返るから、あいつに罪をかぶせよう。今後は一生面倒を見てやらないと行けないな。

さて、与党幹事長氏の胸の内はどれだろうか、気になるところではある。

まあ、小生的には過去のことの償いより、次の選挙の数勘定をするより、この国の産業の構想と施策にエネルギーを割いていただきたいものだ。

法人税や為替など、一企業の努力ではどうしようもないことが多々ありますので。

ホント、結構まずい状況だと思いますよ。
旧暦
ちょっとばかり「旧暦」に凝っている。

新幹線内の情報誌に太陰太陽暦の手帳が紹介されていて、突然興味を持った。

昔の日本人のリズムを感じてみたいと思った。

月の満ち欠けを意識するのも楽しそうだ。

早速ネットで『旧暦日々是好日』手帳を購入。

今年の旧正月は2月14日。

欧米風ではバレンタインデーだ。

立春に近い新月の日を正月とするらしい。

時=トキという字は、「荷物を解く」のトクと同じ語源で、「存在するものがゆるみ、流動すること」ということも知った。

柔らかい、日本的な認識様式だ。

さらにおもしろいのは、昔の「刻」という時間の単位。

1日を昼と夜に分け、それぞれを6等分した時間が「一刻」。

割算すると2時間だが、季節によって昼と夜の長さは違う。

したがって、夏の一刻は長く、冬の一刻は短い。

同じ8時間労働であっても、夏は長く働き、冬は早く家に帰ることになるのだ。

これ、何となく人間のリズムに合っていそう。

冬に仕事をさぼる口実ではなくて。
ヒトが主となる戦略
現代日本の3大一人勝ち企業の一つに、歴史的ベンチャー企業から華麗に転職されたかねまつさんのお話をお聞きする。

間違いなく同世代のホープである。

人事専門の氏は、グローバル人事のシステムというきわめてチャレンジャブルな仕事に取り組んでいる。

その会社は優れた戦略、優れた事業システムとして知られているが、人事的な目線で見ると、働く人々の頑張り以外に企業経営の鍵はないように思える。

お釈迦様の手のひらの上の孫悟空よろしく、企業の仕組みの上で踊る「リソース」としての従業員という考え方が虚構になる。

ヒトが集まって何事かを成し遂げる営みである以上、組織の本質は「仕組み」ではなくヒトそのものにある。

マーケティング戦略や事業システムは、主体者たるヒトとヒトをつなぐ、ある時点での共通的なテーマに過ぎない。

それぞれのヒトの頭の中に存在しなければ、戦略もシステムも無意味である。

ヒトをいきいきと突き動かす、イグニッションキーとしての戦略。

カネのためではなく、ヒトのためにある戦略。

ヒトが主となる戦略論の逆転。

そんなことを考えました。

ありがとうございました。
『20世紀少年』
昨日『20世紀少年』全巻を大人読みして、今日は映画『アバター』を見る。

ハードディスクデータの完全消去のために大量の文字を書き込むように、人間の頭にも大量の情報を流し込むと余計なこと考えなくなってスッキリする。

まずは『20世紀少年』の感想。

近所にある万博公園の太陽の塔でその映画のイベントをやったことくらいしか知識がなかった。

はしもとさんより強く勧められて、おもむろに読み出したが、読み出したら止まらない。

家族そっちのけで22巻一気に読破。

なるほど70年の万博は重要なモチーフだ。

小生より数年上の世代、多分作者の浦沢直樹氏と同世代が主人公で、時代感がリアルに共有できる。

読み進めるうちに、『1Q84』との共通点に気づく。

まずタイトルが、過去の他者の作品から採られている。

『20世紀少年』はT・レックスの曲、『1Q84』はジョージ・オーウェル。

また、どちらも世間常識から隔絶された宗教団体が敵役として出てくる。

そして、少年時代の思い出と現実が交錯するように話が進む。

子供の頃の行動や感情が、大人の自分を拘束もするし、勇気づけもする。

歳を重ねるにつれ、過去が増えていき、その過去と対話しながら生きることになる。

自分は何者か、何者だったのか、何をなし得るのか、ということを自問しながら生きる。

たまたま最近出会った作品の共通点だが、生きる指針は外側にはなく、自分の中に見つけていくものだという時代の空気を感じる。

それをそのまま伝えても面白くも何ともないが、浦沢氏の漫画になるととてつもないエンターテイメントの姿をして現れる。

このような入り組んだ話をエンディングまでもっていくストーリーテリングの技はすごいものだ。

余韻がありすぎのエンディングなので、続編の『21世紀少年』もいずれ読まなくてはと思う。

『アバター』ついてはまた今度。
類推力
なぜそうしようと思うのか?

その意図・目的は何か?

もっと他の可能性は考えられないのか?

このような質問はできる上司を装うには良い質問である。

自分は何も考えなくて良いからだ。

本当にできる上司は、その答えを準備してから、部下に対する教育的効果を狙ってこれらの質問をする。

相手の考えの浅さを指摘するプチダメだしなので、余りこれをやると煙たがられる。

さらに、自分の頭が切れると思っている部下が上司にこれらの問いを発する場合がある。

あなたの発言はロジカルでありませんよ、というニュアンスが伝わり、上司がカチンとくる。

アルバイト生でも、小生に対してこういう問いかけをすることがある。

小生の答えは、質問する前に自分で考えよ、ということだ。

当然自分の説明不足を棚に上げて開き直っているのだが、世の中において目的と手段がいつもきちんとセットされて指示されるわけではない。

上司の能力レベルもあるし、つべこべ言わずに迅速に作業してくれ、という場合もある。

どんな環境でも主体的に仕事を進めていくためには、言葉にされない状況をつかみ取り、目的を類推する思考が大事なのだ。

その類推力がないと、人間関係がギクシャクする。

コンサルタントという仕事においては、クライアントが言葉にできない意図を、的確に言葉にしてあげるという能力がとても大事である。

コンサルタントの教科書にはwhyを5回唱えるとか書いてあるが、誰彼構わずそれを実践すればいずれ仕事が無くなる。

「なぜ」というオープンクエスチョンではなく、「こういうことですか?」というイエス・ノークエスチョンを考える心がけが重要だ。

これはマーケティングリサーチの方法論と同じですね。

類推力のない言葉の応酬が知的な議論とはき違えないように、思いやりのある議論をしたいものだ。
銀行にて
あけましておめでとうございます。

今年は少しだけ気を入れ直して、ブログの更新頻度を上げようと思います。

仕事始めは明日からなので、今日はいろいろと家庭の雑事をする。

銀行で手続きをする用事が午前中にあった。

すぐ終わるだろうと高をくくっていたら、たっぷり2時間かかった。

名前と住所を書き続けると、ふと住所はなんだったっけ?と頭が白くなる瞬間がある。

初めのうちはこんなに書かせんなよと文句を心で呟いていたが、そのうちそんなこと考えている場合じゃないと。

機械のごとく正確に処理していかなければいつまでたっても終わらない。

やや要領を得ない担当の方だったので、途中からは積極的に注意書きを読み、ここはこう書くべきですよね、と主体的に物事を進める。

ノーミスだとしたら奇跡だろう。

ふと桂枝雀の『代書屋』を思い出す。

デジタルの世の中において、手書きの文字を残す「自著」というのは最後のアナログの砦か。

間違いなく本人の意思で手続きをしてるんだ、という証拠は未来永劫、紙とペンなのだろうか。

そういや友人の銀行マンが15年ほど前に、銀行の書類は手書きじゃないと絶対にダメだ、と言っていた。

紙とペンがないときは、しかるべき人の前に体ごと現れないとだめだったのだろうと思うと、紙というものを発明してくれた人に感謝しなければならない。

手書き書類であっても、太古の昔と比べれば随分と効率性に妥協したシステムだ。

これくらいはデジタルでなくても仕方がないか。

人類の悠久の歴史を思い描くと、銀行の仕組みも少しは理解できるようだ。
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