インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
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巨人と阪神
巨人と阪神が合併する、なんて話が出たらだれもが驚くだろう。

両チームの成績は好対照だが、人気球団同士で経営は問題ないはずだ。

そんなことより、チームカラーというものが違う。

ファンの気質も随分違う。

気質が違うと言うより、互いがライバル状態(どちらかというと阪神→巨人の目線が大だが)であることが、チームへの思い入れを熱くしているのだ。

選手もコーチもフロントも、そういう精神を励みにしているはずだ(特に阪神)。

ところが、世界の野球界に大変動が起こり、巨人と阪神がセリーグを脱退し、合併して大リーグに参加する、となったらどうだろう。

これまで独特のシンパシーを持っていた選手やファンは怒り、チームから離れるだろう。

いやいや、これは大いなる進歩だから、いっそう応援するという大人の対応はどれだけできるだろうか。

狡猾な巨人の策謀に阪神がまるめこまれたなんてことになると、虎ファンの暴動がおきそうだ。

何を長々と絵空事を、と思われそうだが、キリンとサントリーの合併はこんな感じではないか。

サントリーが阪神っぽい立場に見えるのも気になる。

社員や消費者は大人の対応ができるだろうか。
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アリス
中学生のころ、スポーツ万能でギターもうまくて女の子にえらくもてた友人がいた。

かれの家に行くと、アリスのポスターが所狭しと貼られていた。

ちなみに、アリスとは、谷村新司と堀内孝雄と矢沢透のフォークバンドである。

アリスのアルバムタイトルは、単純なナンバリング(「ALICE Ⅴ」とか)で格好良かった。

ポスターも暗めで睨みをきかせた渋いのが多く、スマートな「風」派の少年にはとても不良っぽく映っていた。

ギターもでかいギブソンだったし、硬派のイメージが強かった。

ちょっと恐いおじさん、であったのだ。

数々の大ヒットを飛ばした後、谷村氏は無害で善良な文化人、堀内氏は演歌歌手とキャラを換えてNHKの常連になった。

そのキャラ的なギャップに耐えられない人は、私の世代に少なからずいると思う。

そのアリスが、再結成するらしい。

キャラを戻すのに苦労をされるのではないかと察する。

特にベーヤンの演歌的歌い回しをフォークに戻すのが大変と思うが、余計な心配だろう。
アレルギー
しばらく鼻をぐすぐすやっているが、お医者さんによるとアレルギー性とのこと。

花粉症も無縁だったのだが、ここのところティッシュが手放せない。

鼻が詰まって味がわからなくなるときもある。

食べているものが粘土みたいでストレスだ。

酒を飲むとますますつらくなるので、ここのところ人生でほとんど経験のない宴会キャンセルが続いている。

医者からもらう薬も効かず、わらにもすがる思いでサプリメントを探索する。

素人研究で目星をつけてネットでオーダー。

海外から船に乗ってやってくるらしい。

昨日薬局の薬剤師にも相談。

市販薬に切り替えて若干ましになる。

船便が日本に着くまでに全快といきたいところだ。

すっきりと酒を飲んで、味のする食べ物を食べたい。

切なる願いである。
会社の一単位
事業の規模を拡大する、というのは経営者にとってわかりやすい目標だ。

10億、100億、1000億、1兆・・・。

それにより大きな構想が生まれ、イノベーションへの関心が起こる。

現状に安泰するトップよりも活気があり、魅力的だ。

しかし、事業規模の拡大にはいろいろな方法がある。

例えば50億円の会社が1000億円にするには、今の事業を地道に拡大する、展開エリアを広げる、川上・川下に展開する、同業者を買収する、などなど、多様な道筋がある。

また、一つの会社でも、複数のカンパニーを持ち、内部的には別会社のようにマネジメントする会社もある。

さらに、事業会社が持ち株会社になり、事業ごとの会社に分割するという経営手法も盛んだ。

会社を大きくするという概念には、「一つの会社」というのは何を意味するのかを考える必要がある。

会社の一単位とは何か。

マネジメント単位なのか、企業ブランドの傘なのか、一貫したビジョンなのか。

取り組むべき思考課題である。
映画館
たまには映画を見ないといけないと思う。

あくまで娯楽なのだから、義務感に思ってはいけないのだが、他にも自転車だとか本だとか写真だとか、気になるものがいろいろあって、時間がない。

時間がないというのは最悪の言い訳で、結局は優先順位の問題だから、映画は今のところ自分の中のランキングとしては比較的下の方なのだ。

日曜日、家族がみんな出払って時間ができたので、映画でも見ようと決心した。

9時半頃なんばに着いて、目当ての「ハゲタカ」を午前中に見ようと思ったら、既に始まっていた。

次は午後からで、これに付き合うと他にしたいことができなくなるのであっさり断念。

「待つ」ということができなくなっていることに気づく。

自分の情報インプットリズムというのができあがっていて、2時間も何かを待つということができない。

逆に言うと、待ってでも見ようと思うほどの欲求がその映画にはない。

いや、映画というコンテンツの問題ではなく、映画館という器の問題だ。

今見なければ後悔する、という切迫感が映画にはないので、時間を犠牲にしてまで映画館に行くという気にならない。

「ハゲタカ」は後日レンタルすることにしよう。

映画館ビジネス、人手があまりかからない装置産業で、人間の細やかなサービスや工夫が感じられる場面は少ない。

古い大量生産パラダイムの中にいるような気がして、なかなか前途多難であろうと思った。
CSR
マーケティングの目的は、顧客の創造と維持である。

大概のマーケティングの教科書にはそう書いてあるし、小生もそう語っている。

ドラッカーさんが言い出したことではあるが、言語化されなくても、ビジネスパーソンであればこのことが大切であることは分かるはずだ。

お客さんから対価をもらうことができなければ、僕らは生活できないからだ。

では、顧客とは誰か、という議論になると、これはなかなか難しい。

古典的マーケティング理論では、「顧客」と対比する概念として、「自社」と「競合」がある。

「顧客」にとって価値あるものを、「自社」の技術やノウハウを生かして、「競合」より優れたやりかたで提供する、という具合に考える。

こう表現すると、顧客と自社と競合は、別々のプレーヤーに見える。

ところが、現実はそう簡単ではない。

社員だった人が辞めて一人の顧客になる、またはその逆がある。

昨日の同僚が競合先に就職する、またはその逆がある。

などなど、時間の経過を考えると、一人の人間はいろいろな立場になる。

立場が変わったからと言って、頭の中が全取っ替えになるわけではなく、それまでの経験をもとに考え、行動する。

そう考えると、顧客という一面だけに対する、ええ格好しいのコミュニケーションは底が浅く、見透かされてしまう。

見た目はきれいな店だけど、社員をあまりに使い捨てにすることを知っているので、店員の笑顔に切なさを感じる、という重層的な評価が下される。

ある人が「顧客として存在する」ときに限らず、将来顧客になるかもしれない、社員になるかもしれないということを想定して、企業は広く情報を発信しなければならない。

したがって、さまざまな社会的な存在者に対して、正々堂々と事業を行い、対話をすることが大事なのだ。

それが企業の社会的責任(SCR)なのだと思う。

絵空事ではなく、本当にそうだ、と思う経営者が一人でも増えると、世の中はより豊かになるはずだ。
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