インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
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里見八犬伝
小学生の娘は国語が苦手なようだ。

物語を読んでも全体を情景を頭で描けないらしい。

テスト問題に出てくる話はそう面白いものではないので、きっと感情移入できないのだろう。

自分がそうだったから、何となく分かる。

右から左にいろんな文章を読んで、下線部を最も説明しているは次のうちどれか、なんて面白いはずがない。

面白くなくても文章の意味が分からないと人生に不利になるので、何とかしてあげたいのが親心。

毎月本が送られてくる仕組みに加入しているので、本はそこそこ読んでいる。

どんなの読んでるのと聞くと、知らない本だらけ。

パラパラめくると、微妙な心理の綾があったり、詩のようなものがあったり。

これはなかなか難しいぞ。

微妙な味わいが分からんと読みこなせなさそうだ。

繊細な感受性が必要だ。

どうも難易度高いんじゃないのと、もっと「ハマる」タイプの本を買ってあげる事に。

ハマることで、頭の中に広大なスクリーンが構築される。

分析的に文章にアプローチするのではなく、まずイメージとして登場人物や概念を存在させる。

難しい話はその後だ。

という文脈で児童書コーナーに行くわけだが、結局は自分が子供の頃にハマったものをチョイスすることになる。

ポップス全盛の時代に演歌を聞かせることにはならないか。

そんな懸念を持ちながら、ハリウッド的に情景が浮かびやすいものということで、「里見八犬伝」と「海底二万里」を与える。

取りあえずハマっているようだ。 

この処方箋が正しいかどうか。

少なくともストーリーが記憶に残ればいいと思う。

そういう思考のキャンバスをつくることが先決だ。

塾の先生に否定されるかも知れないけど。
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機内コーヒー事件
飛行機の機内の飲み物がいつからか有料になっている。

コーヒー300円と、新幹線と変わりないのでどうってことはないのだが、前にタダだったものが有料になるとなんとなく頼むと「負け」のような気がする。

それでも飲みたくなったので、本日オーダーしてみる。

オーダーしてから小銭がないことに気がついた。

札入れを覗くと千円札もない。

こりゃダメだと思ってオーダーを断ると、優しく「大丈夫ですよ」とCAさん。

へえ、お釣り分のキャッシュをちゃんと持っているんだと安心する。

後ほどお釣りを持って参りますとのことで、1万円札を渡し、コーヒーを受け取る。

スターバックスブランドのコーヒーは新幹線より上等。

新幹線にはもっと頑張っていただきたい。

1万円渡したけど、お釣り忘れられたら嫌だなあとちょっと性悪説に立って少し心配する。

そこは信頼と安心のCAさん、すぐにお釣りを持ってやってくる。

ちょっと細かいですがいいですか、と。

はい、もちろんです。

ここで嫌だという人はいないでしょう。

ところがびっくり。

渡されたのが、千円札4枚、500円玉4枚、100円玉なんと37枚。

絵本に出てくる盗賊のように両手でいただく。

財布に入らないですよね、と小さなビニール袋2つ差し出される。

ありがとうございますとお礼を言って、ばらまかないように慎重に袋に小銭を入れる。

この場合、お釣りがありませんと1万円札は断るべきだと思います。
人格を結晶化しないように
ある一人の人物を正確に記述しようとするとすぐ壁にぶち当たる。

人は誰でも怒りっぽい面もあれば、優しい面もある。

怒る時もあるし、優しい時もあると言った方がいいだろう。

短気が表に出た自己主張の激しいシーンもあれば、優柔不断が隠れた気の長い我慢の場面がある。

人間は複雑だから、いろいろな顔を持つ。

単純な言葉のイメージの中に押し込まれることを拒絶する。

周りの人間は、その人が今日はどんな人間として現れるかを瞬間的に察知し、それに対応しながら関わりを持つ。

新たな関係が常に生まれ、消え、また新たな関係が生まれる。

そうやって共感したり、感謝したり、反発したりして互いの人生を編み上げていく。

人生がどんな織物になっていくかは、過ぎてみないと分からない。

一人の人間が亡くなると、残ったものは、もうそのような動的な関わり合いが持てないことにはたと気づく。

もっと関わりたいから、その亡き人の仮の姿を頭に描き、その人と対話することになる。

このときに、冒頭の難しさが頭をもたげる。

人間は複雑すぎて、一つの人格として頭に格納するのはとても困難だ。

かくして、人間の情報処理限界を克服するために、「あの人はこういう人だった」というコンセプトを逆算的に作り出す。

死んだ人にキャラ付けをするのだ。

マイケル・ジャクソンはこのメカニズムで生前の醜聞を覆い隠し、良き伝説になった。

生きている側からの一方的なコミュニケーションが可能なように、その人の人格を結晶化する。

「私の履歴書」に登場中の下村先生はクラゲから発光体の結晶を抽出するのが仕事だったが、人間の人格についてはそうすることが良いとは限らない。

なるべく結晶にならないように、ナマのままで頭の中に保存しておきたい。

そうすることで想像上のコミュニケーションの多様性を確保しておきたい。

父の冥福を祈る。
辛抱、辛抱
副鼻腔炎(蓄膿症)の手術後の処置に病院へ行く。

昨日は頭痛がきつかった。

こめかみの辺りが重く、偏頭痛がする。

鎮痛剤飲んでもあまり効かなかった。

お医者さんに様子を告げると、内視鏡で見てみましょうと。

薬に浸したガーゼを鼻に詰めて10分ほど。

一時的に麻酔がかかり、喉の感触が鈍くなる。

内視鏡で見ると、こめかみの裏側へ通した道が塞がれているとのこと。

いつものようにぐじゅぐじゅと吸い出す処置で右側は開通。

たとえは悪いが映画『スカーフェイス』の壮絶リンチ場面を思い出す。

左側は粘膜が腫れていて未開通。

これが通らないと頭痛が続くようだ。

もう少し辛抱、辛抱。

眼鏡も頭痛に関係してるようだと昨日雑談していたら、コンタクトレンズは考えないんですか、と。

6、7年前まで20年ほどコンタクトレンズをしていたが、目の疲れが強くなり、それ以来眼鏡一筋。

妻が最近ソフトレンズにしたこともあって、使い捨てという選択肢があることを発見。

これだと自転車乗るときにサングラスが使える。

思い立ったらすぐに千里中央のアイシティへ。

ソフト初体験だが、ハードとは全く違う感触で良さそうだ。

その昔、急にハードを長時間付けて両目に眼帯されたトラウマがあったが、これならいけそうだ。

久しぶりにディテールまで見た素の顔は、少しばかり年齢を感じる。

こりゃまたいかんと散髪屋へ。

何歳か若返ったか。

これで気分も良くなり、頭痛も少し和らげば良いが。

木曜日の酒宴までになんとかしたい。
手術
フラットなベッドに横たわり、真上を見た状態で運ばれる。

天井と蛍光灯が見え、エレベーターに乗せられ、手術室に入る。

初めて経験するような、それでいてどこかのドラマか映画で見たような光景でもある。

手術室で、横たわったままゴロンと細いベッドに移動する。

数人がかりでてきぱきと、左手に点滴がセットされ、右手には血圧計、右の足指には心電図のセンサー(多分)が取り付けられる。

左腕に何かが流れ込む。

ひんやりした感じになって、少し痛みを感じますよ、と言われる。

その通りのことが起こる。

腕が氷砂糖のような感じになり、これからどうなるんだろうなあと考える。

次の瞬間は「もう終わりましたよ~」というざわざわとした声と、ベッドが移動している感覚。

病室に戻り、ちょっと複雑なところがあって、予定より時間がかかった、という主治医の話。

ひどく酔っぱらって目が回っている感じに近い。

1泊2日で行った鼻の手術の記憶はこんな感じである。

内視鏡の技術が発達して、これまで1ヶ月の入院が必要だった手術が2日ばかりで退院できるようになった。

この技術がなければ、一生我慢して過ごすという選択肢しかなかっただろう。

不安だったのは全身麻酔。

一度眠ってしまえば、後は医師に生命のすべてを預けなくてはならない。

信頼とは、起こりうることの客観的な理解と、それが起こる確率への賭けである。

うまくいって何よりだ。

科学技術と、それを人間に適用するお医者さんに感謝する次第です。
マリオカートの意思決定問題
Wiiのソフトの「マリオカート」と「バンクーバーオリンピック」を比較して、娘はあっさり「マリオカート」を選んだ。

何かを選ぶと言うことは、同じ軸の上に並べて比較するという作業が発生する。

残業すべきか飲み会に参加すべきか、一人で自転車で淀川を走るか子供と遊ぶか、携帯を新しくするかポメラを買うかなど、選択肢が異質な対象でも、何かを選ぶ際には強制的に同じ軸の上に乗せなければならない。

同じ軸の上に乗せるということは、すなわち定量的に評価するということだ。

具体的な数値になっていなくとも、選択肢の効用の大小が判定できる程度に必ず定量化しなければならない。

A>B。したがってAを選択する。

代数の世界である。

娘が誕生日プレゼントを選択する場合は、A>Bという抽象代数のレベルで問題はない。

しかし、それが組織的な意思決定となると、なぜA>Bなんだ、という説明が求められる。

「マリオカート」と「バンクーバーオリンピック」のNPVを算出せよ、という問題になる。

娘は「マリオカート」が欲しいので、NPVでも明らかに有利になるように数字をはめ込む。

抽象代数を初歩的な算数に展開して、頭の固い親が理解できるように上申する。

親は、その数字はもともと「マリオカート欲しかったからちゃうの?」と疑問をぶつける。

いやいや、マリオカートの方がルールが簡単で友達も参加しやすいし、ハンドルもついてて盛り上がれそうだからキャッシュインが大きいのだ、と娘は言う。

しかもオリンピックもんはすぐ飽きるので償却期間が短いと決定打を出す。

なるほど、そういうことなら納得だ、と稟議が通る。

かくして、娘の頭で瞬間的に判断された事項が、時間と労力をかけて組織的に了解される。

数字の大小なら小学生にも分かる。

問題は、その数字を導いた筋道に納得感があるかどうかだ。

納得感は、意思決定者の知識や経験や好みなどに左右される。

勘の悪い親だと、来年の誕生日まで細かい説明を求めるかも知れない。

組織の中で「親」の立場の人は、誕生日プレゼントは誕生日に間に合うようにご注意いただきたい。
雨乞い
今日の天気予報は午前中曇り、午後から雨。

自転車に乗るなら午前中しかなさそうだ。

朝起きると、これぞ曇りのち雨の空。

今にも降るぞ降るぞとばかり、鼠色の低い空が重たそうに覆い被さっている。

水をいっぱいに含んだスポンジのような雲だ。

自然的要素とは別に、今日自転車に乗るにはもう一つハードルがある。

妻が市の音楽会のようなものに出るので、見に来てビデオに収めて欲しいと言われている。

正確に言うと「言われてはいない」が、そのような電波が明確に発信されているのだ。

いくらチューニングしてもかすかに聞こえてくるプロパガンダ放送のように。

音楽会と自転車はトレードオフ関係にあり、かつ私にとっての効用関数は明確である。

しかしながら、数学的に意思決定できないのが人間社会の奥深さだ。

いずれにしろ、阪急線の駅までは車で送り届けなくてはいけない。

追い打ちをかけるように、送り届けた後に洗濯物干しを命じられる。

自転車に許された時間がどんどん削り取られていく。

意思決定を先延ばしにしたまま地下の駐車場に車を取りに行く。

地上に出てみると、早くも雨が降り出していた。

これで自転車を諦める十分条件が揃い、今日為すべきことが確定した。

きっと誰かが雨乞いしたに違いない。
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