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インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
旧暦
ちょっとばかり「旧暦」に凝っている。

新幹線内の情報誌に太陰太陽暦の手帳が紹介されていて、突然興味を持った。

昔の日本人のリズムを感じてみたいと思った。

月の満ち欠けを意識するのも楽しそうだ。

早速ネットで『旧暦日々是好日』手帳を購入。

今年の旧正月は2月14日。

欧米風ではバレンタインデーだ。

立春に近い新月の日を正月とするらしい。

時=トキという字は、「荷物を解く」のトクと同じ語源で、「存在するものがゆるみ、流動すること」ということも知った。

柔らかい、日本的な認識様式だ。

さらにおもしろいのは、昔の「刻」という時間の単位。

1日を昼と夜に分け、それぞれを6等分した時間が「一刻」。

割算すると2時間だが、季節によって昼と夜の長さは違う。

したがって、夏の一刻は長く、冬の一刻は短い。

同じ8時間労働であっても、夏は長く働き、冬は早く家に帰ることになるのだ。

これ、何となく人間のリズムに合っていそう。

冬に仕事をさぼる口実ではなくて。
銀行にて
あけましておめでとうございます。

今年は少しだけ気を入れ直して、ブログの更新頻度を上げようと思います。

仕事始めは明日からなので、今日はいろいろと家庭の雑事をする。

銀行で手続きをする用事が午前中にあった。

すぐ終わるだろうと高をくくっていたら、たっぷり2時間かかった。

名前と住所を書き続けると、ふと住所はなんだったっけ?と頭が白くなる瞬間がある。

初めのうちはこんなに書かせんなよと文句を心で呟いていたが、そのうちそんなこと考えている場合じゃないと。

機械のごとく正確に処理していかなければいつまでたっても終わらない。

やや要領を得ない担当の方だったので、途中からは積極的に注意書きを読み、ここはこう書くべきですよね、と主体的に物事を進める。

ノーミスだとしたら奇跡だろう。

ふと桂枝雀の『代書屋』を思い出す。

デジタルの世の中において、手書きの文字を残す「自著」というのは最後のアナログの砦か。

間違いなく本人の意思で手続きをしてるんだ、という証拠は未来永劫、紙とペンなのだろうか。

そういや友人の銀行マンが15年ほど前に、銀行の書類は手書きじゃないと絶対にダメだ、と言っていた。

紙とペンがないときは、しかるべき人の前に体ごと現れないとだめだったのだろうと思うと、紙というものを発明してくれた人に感謝しなければならない。

手書き書類であっても、太古の昔と比べれば随分と効率性に妥協したシステムだ。

これくらいはデジタルでなくても仕方がないか。

人類の悠久の歴史を思い描くと、銀行の仕組みも少しは理解できるようだ。
イリンクス
スキーを家族で楽しんだ。

子供達が参加したスクールの効果は絶大で、平地を歩くのもままならなかった子がリフトに乗って滑り降りることができるようになった。

家族そろって斜面にいることが新鮮で楽しい。

スキーはかなり純度の高い娯楽だと思う。

永ちゃんのコンサートだと、60歳になっても現役の職業人としてのスキルを維持向上させないといけないな、とか考える。

"This Is It"を見るとエンターテイメントのマネジメントのあり方を考える。

どうしても仕事と関連させてしまう。

自転車のペダルをクルクル回すときも、その時間が結構長いので、やっぱりいろんなことを考える。

それらに比べ、スキーは高いところから低いところに一瞬にして滑り降りる。

余計なことを考えるヒマがない。

リフトで上に上がって滑り降りるという、意味のない単純な繰り返しである。

それがどうした、というくらい子供っぽい遊びだ。

ロジェ・カイヨワ氏はアゴーン(競争)、アレア(偶然)、ミミクリ(模倣)、イリンクス(めまい)の4つに遊びを区分している。

ゴルフはアゴーン、競馬はアレア、演劇はミミクリである。

スキーはジェットコースターなどと同類のイリンクスだ。

前者3つは人間が社会的存在であることを基盤としているが、イリンクスは「生き物」としての快楽だ。

かつてスキーはファッションであり、格好いいライフスタイルの象徴でもあった。

ブームが去った今、そのような肩の力が抜け、イリンクスとしての純度がより高くなった。

やたらと理屈っぽくなってしまったが、とても楽しかったということだ。
祝婚歌
昨日、おのやまさんの結婚パーティーに参列。

ナカノ会長が、祝辞に吉野弘さんの祝婚歌を引用された。

有名な詩のようだが、薄学ゆえに初めて知った。

結婚生活を送る上で実に味わい深い詩である。

「正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい」

というところは期末テストに出るくらい重要なポイントだ。

これは古今東西、家庭でも企業においても大事な教訓だと思う。

特にビジネスでは、傷つけるのが分かっていても、それを口にしなければいけないことがある。

若いときは歯に衣着せぬ物言いと言えば聞こえはよいが、配慮のなさで随分と他人に傷を負わせてきたように思う。

若いときは若気の至りだが、歳を重ねてくると人から疎んじられる。

正しいと思うことは、阿吽の呼吸に頼らず、タイミング良く躊躇なく、かつすがすがしく、余計な言葉を継ぎ足さず、未来志向で口にしたいものだ。

さて、家庭ではどうか。

ここは是非とも言葉にしないうちに何とかなるように外堀を埋めていく、という高級戦術を身につけたい。
巨人優勝
巨人が日本シリーズを制した。

最近、我が家の女性3人組の主たる話題が野球だったので、シーズン終了でいささか寂しい。

下の子はルールが分からないなりに、「イチロー」「マツイ」「キクチクン」「ダルビッシュ」「カメイ」「シンノスケ」などの基本人名は押さえているようだ。

それにしても原監督は男を上げた。

インタビューの受け答え一つ一つが大人であり、国民のヒーローはこのような感受性とバランス感覚を持った人物であるべきだ。

巨人はいつの間にか「育成上手」のチームになった。

フリーエージェントで四番ばかり並べていたころとは大違いである。

正直、気がついたら若手中心のチームになっていたという感じだが、その過程には並々ならぬ苦労があったと推察される。

若手を利用しようと思ったら、現時点では力が上のベテランをはずさなくてはいけない。

それは短期的な勝利を逃すことになり、ファンもオーナーも許し難い。

結果的に若手が伸びればよいか、そのような保証のない中での判断となる。

そのジレンマをどう確信犯的に乗り切るかがマネジメントの醍醐味だ。

クリステンセン氏が『イノベーションのジレンマ』で語ったことと同じ。

ビジネスでも、革新的な新製品は、既存の主力商品のシェアを落とすので、最初の内は日の目を見ない。

それでも思い切って革新的技術に切り替えられるかどうか。

新興企業はやりやすいが、既に地位のある大企業はやりにくい。

だから、家老連中がうるさい巨人が若手を育成したことが画期的なのだ。

さて、チャレンジャーポジションにすら今年は行けなかった虎軍団はどうなのだろうか。

大型M&Aばりの補強で果たして乗り切れるのか?
優秀すぎる
小学校の高学年にもなると、中学受験の話が勝手に聞こえてくる。

受験する子はどう考えても自分が子供の頃の3倍くらい勉強しているので、大人になったら自分の3倍くらいの能力を持ちそうだ。

頼もしい限りである。

親が自分の子供時分はこうだった、というのは塾の先生に言わせれば御法度。

現代はそんな牧歌的な、なまっちょろい時代と違うのだ。

田舎育ちの甘い親が子供の将来を損なってしまうらしい。

30年前の100点は、現代に換算するとたかが知れている。

だから週6回くらい塾に行かせないと親の義務を果たしたことにならないのだ。

こうして人間の能力はどんどん進化して、レベルの高い社会ができていく。

3倍くらい生産性が上がれば、われわれが歳を取ったあとの年金問題も解決しそうだ。

新興国の製造コストにも対抗できるだろう。

優秀なあまり、みんなロボットに突然変異してしまうことだけが心配だ。
写真
連休を利用して、自宅の部屋割りおよびレイアウト変更を大々的に行う。

そういうときに出てくるのが昔の写真。

アルバムにきちんと整理しているのは、上の子が3歳くらいの時まで。

下の子にはアルバムというものが存在しない。

デジタルな世の中になったというのは言い訳で、写真はハードディスクにほったらかし。

この状況を打開するために、デジタルフォトフレームを購入。

このフレームに入れる写真をピックアップするのに3時間。

結果、家族が釘付けのスペシャル写真スライドが完成した。

画質は本当にきれい。

撮影日時が表示されたりランダムで映し出されたりと機能も豊富。

これからはプリントよりも間違いなくこれだね。

iPhoneも立派なビューワーで、写真は身近な液晶画面で見るものになる。

写真をみながらああだこうだ言っていると、良い写真が撮りたくなる。

2週間後は運動会。

そろそろいいオートフォーカスのカメラが欲しいよね、と心が呟き、何年も見送っていたデジタル一眼への欲求が高くなる。

OLYMPUSのPENやパナソニックのGF1に惹かれるも、パンケーキレンズ使いなら愛用のRICOH DIGITALとかぶるので、結局デジイチの王道のCANNONを購入。

なんともエラい展開となってしまった。

さて、きちんと使いこなせますやら。