インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
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コーズ・リレイテッド・マーケティング
だいぶ前のことだが、散髪はもっぱら近くの美容院と決めていた。

最初に入ったときの担当が小綺麗なお姉さんで、散髪というサービス上、至近距離で作業を行うわけで、その距離感がなんとも付加価値であった。

もちろん以降はそのお姉さんの「指名」である。

髪を整えるという本質的機能は、満足の基準を超えている。

ただ、その基準は小生の場合それほど高くなく、満足基準を超えるお店はそこらじゅうに存在する。

こういう場合、通常の商品ならば値段の安い方になびく。

しかし、当時の美容院は価格統制(紳士協定?)があるのか値段の差は店間でほとんどない。

したがって、散髪という機能的価値の上に乗っかったプラスアルファは購買意志決定においてなかなかの重要性を持っている。

綺麗なお姉さんの密着サービス(といっても単に髪を切るだけだが)は有力な武器になる。

このように、本来の製品やサービスの価値以外に購買決定のポイントがあることはそれほど珍しいことではない。

最近では、この製品を買うと環境のために1本植樹をしますとか、貧しい国のために学校をつくります、などの社会貢献を打ち出す企業が多くなった。

製品そのもの価値に加え、社会貢献の価値を乗っけて購買意欲を上げるのだ。

ミネラルウォーターのボルヴィックは、1リットルの消費に応じて10リットルの水資源を整備するという取り組みが功を奏し、マーケットシェアが3割ほど上がったそうだ。

社会貢献の大義と関連づけたマーケティング活動は「コーズ・リレイテッド・マーケティング」と呼ばれ、ここ5年くらいの間に多くの企業が取り組みを始めている。

アサヒビールも、スーパードライ1本につき1円を都道府県別に寄付して、自然環境や文化財の保護など役立てるキャンペーンをやっている。

単に広告投入を増やしたり、卸値を1円下げただけではシェアアップはそれほど期待できない。

特に卸値を下げるだけでは、流通側に粗利を与えるだけで終わるだろう。

そういう観点では、この取り組みは消費者の社会貢献に対する「後ろめたさ」をうまく利用して、(安いビールもどき製品より)高価な製品を拡販する有効な施策だ。

たまには安いPB商品ではなく、高いNB商品を買ってみたいのだが、経済合理性からいうと積極的に買う理由が見つからない。

昨今の日本人は安いものを買うのが善行であるという宗教にはまっているので、高いものを買う理由探しが大変なのだ。

そんな場合に自分を納得させるときにこの社会貢献ネタは大いに機能する。

さて、いつのまにかお姉さんが美容院にいなくなり、ほどなくして小生は1000円カットに流れていった。

その美容院が社会貢献を熱心にやっていてもつなぎ止められなかっただろう。

それはなぜか。

小生の趣味嗜好だけが問題ではない。

これはこれでケース討議のテーマとして成り立つと思います。
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中国の人に来て頂くために
メーカーは新興国ターゲット、国内サービス業は中国人観光客狙いというのが、多くの企業の事業戦略の軸である。

きわめて分かりやすく、かつ横並び発想と批判もされるだろうが、まずはこの戦場でしっかり戦うことが不可欠だ。

観光業界は溝畑観光庁長官はじめ、中国のお客様獲得に躍起になっている。

その前提は、中国の人にとって日本が魅力的なソフトウェアであるということだ。

日本の賞味期限が切れないうちに一生懸命セールスして、お金を使ってもらわなければならない。

もちろん、対価以上の満足感を持ち帰ってもらって。

報道番組をチェックしていると、中国の出国者の2%しか日本に来て頂いていないようだ。

買い物目的の旅行としては韓国が人気のよう。

安く行けるし、国ぐるみでのコールセンターのサポートなど手厚い施策を展開している。

ここでも国のスピード感の差があるようだ。

円高で相対的に物価も高いとなれば、韓国とまともに張り合うのは得策ではない。

中国の人から見て、日本はどのようなポジショニングなのだろうか。

高価格だが上質のサービスが受けられ、世界の先端の製品に触れることができる。

毎日が新しい企画に満ちたエブリデイ万国博覧会場。

アメリカやヨーロッパも費用的には似たようなものだが、食事や親しみやすさで日本に軍配。

といったところか。

気をつけないといけないのは、ハイエンドゾーンに逃げ込んで需要のボリュームを取り損ねること。

家電製品の轍を踏まないようにしなければならない。

家電製品は価格競争力を付けるために、部品の現地調達サプライチェーン構築と設計の抜本見直しに躍起になっている。

同じ事が観光産業にも言える。

例えば、春秋航空という格安のエアが茨城空港に降り立つ。

搭乗率が損益分岐点を超えたら、残りの席はPRとして超格安で売る。

発想が柔軟だ。

観光サプライチェーンの一環として、このような企業と組むことも一案だ。

何もオールジャパンでなくても良いのだ。

日の丸航空さん、ごめんなさい。

ここぞというコンテンツはサービスを極め、その他の要素は思い切って切り捨てる。

何が価値なのか、日本に来ていない98%の人の頭で考えなければならない。
部品コンセプト
ユニクロの躍進は、衣服の部品であると定義したことに因る部分が大きい。

全身をユニクロで固めることを最初から想定せず、Tシャツだけさりげなく、目立たないように忍び込ませるのが狙いだ。

コーディネイト販売を基本とする一般的なアパレルブランドとの違いである。

強く主張するのではなく、目立たないけど不可欠なバイプレーヤー(助演)として存在する。

ユニクロの賢いところは、自己表現の中核となるいわゆる「ブランドもん」のポジションを捨てたことだ。

バイプレーヤーのポジションを取ることで、多くの人の需要をものにした。

それまでもスーパーではバイプレーヤーの位置づけになりうる服が売られていた。(もちろん今でも)

でもそれらでは役不足感があり、そこをうまく突いたのがユニクロだ。

バイプレーヤーにちょうど良い品質感とメジャー感を目指したのだ。

その点、MUJIは主役の匂いを漂わせている。

ライフスタイル提案の主張がある。

「ブランドもん」の服は、それら同士がライバルになる。

コンセプトを練り込み、他のブランドもんよりも歓心を買うことを狙っている。

ユニクロは他のどんなブランドとも仲良くお友達である。

なんせ部品、あるいは衣服のインフラなのだから。

部品コンセプトは、主役は着る人であるという当たり前のことを思い返してくれる。

主役級ブランドは、時として着る人を征服してしまう勢いで迫ってくる。

ブランドの傘に征服されることを望む人には有効だが、知識武装した「プロシューマー」には通用しない。

知識を持った買い手は、さまざまなものを組み合わせて自分で価値を創造する。

iPhoneも持つし、レッツノートも持つし、ポメラも持って、デジタルな仕事ライフを実現しているのだ。

買い手が主役であるとの前提を置くと、すべてのモノやサービスは部品である。

売る側は、わが商品は他の商品とどのような補完関係を持つかを考えなければならない。

いかに買い手にとって使い勝手の良いユーティリティプレーヤーになるかを考えるべきなのだ。

ドリブル突破一辺倒のクリスチアーノ・ロナウド型ではなく、周りを活かすメッシ型やイニエスタ型が求められているのだ。

自分の価値を規定しすぎないこと。

自社と他社の商品が混じり合っている買い手の世界に、いかに参加するかを考えること。

買い手の利用価値を規定し過ぎずに、柔軟性を確保した状態で、最終的には買い手に価値創造を委ねる発想が必要だ。

売り手は価値の提案をすることはできるが、価値そのものを創るのは買い手その人である。

その買い手のクリエイティブな作業にいかに参加できるか。

この精神が「サービス・ドミナント・ロジック」の神髄である。
サービス・ドミナント・ロジック
サービス・ドミナント・ロジック(SDL)についてお友達と勉強会をしたので、忘れないうちに備忘録。(ちょっと理屈っぽいです)

「モノ」を前提とした「グッズ・ドミナント・ロジック(GDL)」が現代のマーケティング論の主流。

そうではなくて、世の中の商売はすべてサービスと考えた方が説明が付きやすいというのがSDLの主張。

ドミナントという言葉は、支配的、統一的、包括的というような意味なので、経済をモノの動きで見るより、サービスの交換過程と見た方が何かとアイデアが湧きやすいというとだ。

漁師が魚を捕り、猟師が猪を撃つ。

魚と猪を交換すると考えるのがGDL。

魚を捕るノウハウ・技術と猪を撃つノウハウ・技術を交換すると考えるのがSDL。

海の漁師に代わって獣を撃つサービスを提供しているのが山の猟師、という考え方である。

さらに山の猟師は海の漁師の食卓に貢献しているわけで、献立提案サービスや健康促進サービスをしているとも考えられるのだ。

自動車メーカーは自動車という「モノ」を売っているんじゃなくて、移動やレジャーやコミュニケーションを提供する。

時計メーカーは規律のある生活をサポートし、待ち合わせというコミュニケーションを演出し、アクセサリーとしてライフスタイルやステイタスの提案ビジネスになる。

このあたりまでは、単なる販売活動ではなく、お客さんの問題を解決する「ソリューション活動」に転換しないとね、という文脈と同値である。

今のところの小生が理解したポイントは、「お客さんは価値を作り出すパートナー」と言う考え方だ。

商品を企画する際、「老舗旅館のようにおいしく米が炊ける炊飯器」などのような提供価値を定義する。

SDLでは、それはあくまで提案のレベルであって、実際にお客さんが使った時点で価値が生成されるのだから、売り手とお客さんの共同作業なのだと。

洗濯機でも、携帯電話でも、なんでもかんでも、お客さんが実際に利用した瞬間が価値創造の瞬間なので、あらゆる商品に当てはまる話だ。

研究開発の担当者や、工場のスタッフや、営業パーソンと同様に、お客さんも価値を生成するパートナー(それも決定的に重要な)であると見なし、それを前提にコミュニケーションを図らなければいけない。

お客さんはパートナーであり、情報はできるだけガラス張りにして腹を割ってコミュニケーションすべきである。

それゆえ、顧客は経営資源とみなされる。

経営資源というワードが適切かどうかは議論があるが、長期的に関係を持ち、長期的に利益を生み出す仲間とみなすということだ。

顧客と良い関係を築き、顧客の現場で何が起こっているかに焦点を合わせる。

まことに正しく、肝に銘じるべき考え方である。

さて、ここからは私見。

こういう風に考えていくと、企業の楽屋裏と表舞台の境がどんどんなくなっていく。

DVDでもメイキングが入っているのが当たり前の世の中なので、製品も開発会議や製造現場の苦労が描かれたメイキング映像が公開されていくのかも知れない。

そのうち、開発会議参加ツアーや製品改善コンテストなんかも企画される。

売り手が正直に手の内を明かすようで、実はその手の内も編集されて、心地よいエンタテイメントとして買い手に提供される。

仕事のプロセスがショーになる。

しかし、真のヒーローは違う。

勝負はグランドかリングの上で、その勝負だけで人々を魅了する。

タイガーマスクが、実は心優しい伊達直人だとは誰も知らないのだ。

プロセスがガラス張りになる潮流の反面、実は素人が辿り着きそうもないマジックも期待されている。

全く手の内を見せず、最後に鳩だけを取り出して観客を唖然とさせる。

それがスティーブ・ジョブズのやっていることだと思う。

秘密主義を貫き、自前のハードとソフトにこだわり、アプリを検閲する。

批判もあるが、確かな価値を提供している。

情熱大陸の取材は断り、陰の強烈な努力や見栄や意地や恐れをおくびにも出さない覆面レスラーの出番だってまだまだあるはずだ。

ロマンチック過ぎる考え方だろうか。
せんとくんのケース
奈良へ向かう近鉄線界隈のいたるところに、奈良遷都1300年祭のキャラ、「せんとくん」がいる。

今でこそメジャー感漂うスペシャルキャラだが、登場したときの批判は記憶に新しい。

2008年3月のyahooのアンケートでは支持率19%。

今でも見ることのできるコメント欄は可哀想なくらいボロクソである。

そこから見事に人気を挽回した。

人気急上昇の理由として挙げられているのが、批判騒動がマスコミの露出となり、告知効果があったというものだ。

広告代理店がここぞとばかり強調したいことだろう。

また、キャラクター自体がインパクトがあったことも言われている。

インパクトがありながら、見慣れるとかわいらしく思えてくるデザイン。

追い風だったのは、対抗馬で出てきた「まんとくん」「なーむくん」の弱さ。

さらに、批判があったが故に、守ってあげたいという母性本能のくすぐり。

「世間標準からはずれたインパクトあるキャラ」+「論争による認知度アップ」=「メジャー感ある親近感の醸成」という公式が導かれる。

最近話題の有名人でこの公式に乗っている人は少なくない。

勝間さん、ホリエさん、エリカ様?などなど。

心に引っかかりを作って認知を上げるには論争を起こすことが大事なのだ。

上手にライバルを作って、それらを論破していく。

もちろん、論争を勝ち抜く力は必要だ。

これをみんな実践し出すとなんとも脂っこい世の中になる。

「わびさび」とは無縁の社会になっていくのだろうか。

多分、なる。

せめて、男は黙ってサッポロビールな人の美徳も大事にしていきたいと思う。
完全数
小川洋子氏の小説『博士の愛した数式』に、「完全数」という言葉が出てくる。

それ自身を除いた約数の和がそれ自身の数と等しい数のことである。

すごく難しいことを言っていそうだが、割と簡単な話で、例えば6は完全数である。

約数の1,2,3を足すと6になるからである。

28もそれに当たる。

1+2+4+7+14=28である。

小説では、この数字を背負った江夏投手が特別の存在として扱われている。

ちなみに、小学5年生の時に少年野球チームに入れてもらったときの最初の背番号もこれであった。

当時の28番と言えば、巨人の新浦投手だったが。

それはどうでも良いことで、言いたいのは、ただの数字でもいろんな理由でユニークな特徴があるということだ。

他にも「友愛数」とか「社交数」とか、いろいろあるようで、興味ある方はグーグル様にお聞きになると良い。

さて、特徴のあるキャラの濃い数字がいろいろあるということは、それ以外の「何ら変哲のない数字」というのも存在するということだ。

最近、芸能人で誰が歌が一番下手かという全くお下劣な番組をやっていたが、数字の世界でも、どの数字が最も面白くないかという見方が数学者の中ではあるらしい。

ところが、最も面白くない数字というのは、最も面白くないという意味において極めて特徴的だという言い方が可能になる。

そんなことが数学の本に書いてあった。

したがって、どんな数字でもキャラがあるわけで、それを自覚して生きると楽しい人生になるわけだ。

数字には人生がないが、何事も見方を変えると特徴が見えてくる、ということだ。

「私には特徴がない」「自社の製品にはこれと言った特徴がない」「自社は平凡な会社だ」「私の所属している営業地域は他の地域に比べて特徴がない」

このような見解は、結局深く考えていない、ということである。

抽象概念である数字にだって特徴があるのだから、リアルな世界に特徴がないわけがない。

いろんな人にあったり、いろんな地域に行ったり、いろんな事業を研究したりすれば自身の特徴が浮かび上がる。

金曜日の研修で伝えたかったことはこういうことです。
破談
サントリーとキリンの合併話を阪神と巨人の合併に例える記事を以前書いたが、個人的にインパクト大きく、昨年のビジネス界の私的トップニュースだった。

サントリーのような非上場同族企業=立憲君主制的で個性の強い組織と、財閥系近代官僚組織(のように見える)キリンビールが良くもまあ、結婚することになったと。

伝統的な日本企業の生き方と随分違う意思決定に驚きがあり、ある意味の新しさ、未来性を感じたのだった。

のほほんとした二代目企業もうかうかしてられないぞ、と。

グローバルな市場競争のためには、そのような情緒的な違いを超える論理性を重んじる必要があるのだ。

ところが、世紀の縁談はあっけなく破談になった。

貴乃花と宮沢りえの破談と同じくらい残念だ。

サントリーの創業一族の株式保有比率という根本的な争点で折り合わなかったらしい。

資産評価や戦略方針という次元ではない、根本的なガバナンスの思想が違ったのだ。

とても初歩的な問題で、それを了解せずに今まで何を議論していたのだろう。

なんだか、とても日本的なお話だ。

結果的に、市場環境よりも、組織内部の統治の問題を優先した。

それらを逆転させた戦略的な意思決定だったがゆえの関心事だけに、正直拍子抜けである。

資本の論理を採らずに、組織マネジメントの一貫性を優先した判断はきわめて日本的であり、今後の動向は世界の注目の的になる。

私たち日本人としては、世界での戦い方を構想するための、典型的なケースとして注視すべきだ。

規模の競争が激しい世界の食品業界をどう勝ち抜くか。

他の誰かと結婚するのか、一匹狼として業界から破門されるほどの賭けに出るのか。
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