インターナル・マーケティングの覚え書き。毎日のできごとを少し深く考えた、ビジネスのヒントを提供します。
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人生のやる気曲線
締め切りが近づかないとやる気が起きないという人は多いと思う。

もちろん小生もその一人であり、その傾向がますます強くなっている。

締め切りがあるというのは、時間は有限であるということだ。

時間が有限であることに真摯に向き合うことが、人をやる気にさせる。

その有限性の中でやるべきことが取捨選択され、エネルギーが集中される。

ひょっとしたら3年後までにはすばらしいアイデアがひらめくのではないかというロマンチックな期待を捨て去り、自分の能力の限界に向き合い、絞り出すように何かを創造する。

時間は絶望的なまでに現実的であり、一方でやる気を起こさせる。

歳を重ねるごとに、20代のころに抱えていた「無限の可能性」という幻想が揮発し、時間の有限性に銃をつきつけられている感覚になる。

40歳あたりが、人生の有限性に気がついて、生き方のモードが変わる峠のようなものだと思う。

さて、自分に与えられた時間は有限であり、かつ刻一刻と短くなっていく。

いつ突然ゲームオーバーになるかも分からない、文字通りサドンデスですらある。

手持ちの時間が短くなることは悲しい事ではあるが、「時間の有限性=やる気のもと」理論に基づくと、どんどんやる気が上がってくるということでもある。

アジの開きを天日干しにして体積が小さくなると味が凝縮して旨みが増すように、あるいはボラの卵がカラスミになるように、濃い人生になっていくのではないか。

やりたいことが増加傾向で、手持ち時間が減少傾向なら、やる気曲線は間違いなく右肩上がりだ。

こういうことを思いついたので、こういう風に生きていきたいと思う。
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ヒトが主となる戦略
現代日本の3大一人勝ち企業の一つに、歴史的ベンチャー企業から華麗に転職されたかねまつさんのお話をお聞きする。

間違いなく同世代のホープである。

人事専門の氏は、グローバル人事のシステムというきわめてチャレンジャブルな仕事に取り組んでいる。

その会社は優れた戦略、優れた事業システムとして知られているが、人事的な目線で見ると、働く人々の頑張り以外に企業経営の鍵はないように思える。

お釈迦様の手のひらの上の孫悟空よろしく、企業の仕組みの上で踊る「リソース」としての従業員という考え方が虚構になる。

ヒトが集まって何事かを成し遂げる営みである以上、組織の本質は「仕組み」ではなくヒトそのものにある。

マーケティング戦略や事業システムは、主体者たるヒトとヒトをつなぐ、ある時点での共通的なテーマに過ぎない。

それぞれのヒトの頭の中に存在しなければ、戦略もシステムも無意味である。

ヒトをいきいきと突き動かす、イグニッションキーとしての戦略。

カネのためではなく、ヒトのためにある戦略。

ヒトが主となる戦略論の逆転。

そんなことを考えました。

ありがとうございました。
学生さんへのメッセージ
学生さん向けに、仕事をするとはどんなことなのかを語って欲しいと依頼される。

思いつくままにしゃべった内容を、ミネさんが見事にまとめあげられた。

その文章を転載する了解を得たので、何日かに分けてブログに掲載する。

自分で書くべきブログをミネさんの文章でまかない、さらに小分けにして記事数を増やすという、明らかな手抜きであるがご容赦いただきたい。

文章はすでに下記サイトに掲載されている。
→奈良学園キャリア開発センター

その中のどこかに私の記事があるが、宝探しゲームのように到達するのは難しいので、ゲーム好きな方はチャレンジいただきたい。

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学生さんへのメッセージ その1
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□学生時代のエピソードについてお聞かせ下さい。

~仕事とほとんど同じ 映画制作という部活動~

大学生の時に映画制作の部活動をしていた経験が、今の仕事に、非常に役立っていると思います。

部費を集めないと映画が作れませんので、チラシを配ったり、ポスターを張ったり、徹底的な新入部員勧誘大作戦を展開しました。

それが功を奏して、部員が集まり、組織を大きくすることができました。

「これで念願の映画制作ができる・・・」。

しかし、こうして誕生した組織とお金で、いざ映画を作るとなると、今度は、「誰の企画で何を撮るか」「どうやって企画を募るか」「企画を決めた後、どうやって撮るメンバを決めるか」、映画の制作は、文化祭に間に合わせなければなりませんし、上級生だけで決めるのではなく、下級生の言い分に配慮する必要があります。

振り返ると、これらは、ほとんど今の仕事と本質的には同じことをしていました。

つまり、組織の中で一つの目標に向かって一人ひとりが、自分の役割を果たしていく活動、これは、非常に有意義な経験でした。

(つづく)
困ったときに頼りになる人
今の会社は仕事が面白くないし、給料も安いから、より条件の良い会社に転職しよう。

市場経済にあっては、合理的な行動である。

意欲があり、向上心の高い若者の姿である。

若いとき(30代前半くらいまで?)は、企業も将来の期待値を織り込んで採用するので、比較的転職は容易だ。

ところが、人間だれでも年をとる。

自分の能力の限界が見える。

景気も悪くなれば、そうそう条件の良い会社も見つからない。

そういう状況になると、いよいよ今の会社に骨を埋めるか、となる。

しかしながら、「良い条件」を求めてきたメンタリティが問題になる。

「良い条件」は誰かがもたらしてくれるもので、苦労しながらつくりあげるものという感覚にならないからだ。

会社の上澄みだけをさらっていこうという心性である。

それでは経営者の相棒にはなれない。

困ったときに頼りになる人材こそが欲しいのだ。

仕事が減り、窮地に陥ったときに給料以上の働きをする人が欲しいのだ。

「割り切り」の安楽椅子に座るのではなく、経営者と一緒にオールを持って激流下りをする人が欲しいのだ。

そういうことを、会社の先輩は後輩に伝えてあげてほしい。
CSR
マーケティングの目的は、顧客の創造と維持である。

大概のマーケティングの教科書にはそう書いてあるし、小生もそう語っている。

ドラッカーさんが言い出したことではあるが、言語化されなくても、ビジネスパーソンであればこのことが大切であることは分かるはずだ。

お客さんから対価をもらうことができなければ、僕らは生活できないからだ。

では、顧客とは誰か、という議論になると、これはなかなか難しい。

古典的マーケティング理論では、「顧客」と対比する概念として、「自社」と「競合」がある。

「顧客」にとって価値あるものを、「自社」の技術やノウハウを生かして、「競合」より優れたやりかたで提供する、という具合に考える。

こう表現すると、顧客と自社と競合は、別々のプレーヤーに見える。

ところが、現実はそう簡単ではない。

社員だった人が辞めて一人の顧客になる、またはその逆がある。

昨日の同僚が競合先に就職する、またはその逆がある。

などなど、時間の経過を考えると、一人の人間はいろいろな立場になる。

立場が変わったからと言って、頭の中が全取っ替えになるわけではなく、それまでの経験をもとに考え、行動する。

そう考えると、顧客という一面だけに対する、ええ格好しいのコミュニケーションは底が浅く、見透かされてしまう。

見た目はきれいな店だけど、社員をあまりに使い捨てにすることを知っているので、店員の笑顔に切なさを感じる、という重層的な評価が下される。

ある人が「顧客として存在する」ときに限らず、将来顧客になるかもしれない、社員になるかもしれないということを想定して、企業は広く情報を発信しなければならない。

したがって、さまざまな社会的な存在者に対して、正々堂々と事業を行い、対話をすることが大事なのだ。

それが企業の社会的責任(SCR)なのだと思う。

絵空事ではなく、本当にそうだ、と思う経営者が一人でも増えると、世の中はより豊かになるはずだ。
ストレングスファインダー
『さあ、才能に目覚めよう』という本の表紙カバーの裏にコードが打ってある。

そのコードを使って、自分の資質=強みをネットで診断することができる。

ストレングスファインダーというメソッドである。

34項目の資質から、自分の上位5つを示してくれる。

ちなみにこれは、神戸大の金井先生主催の「人勢塾」で学んだことである。

この診断を、男前経営塾の定例会で実施。

塾生で最も多かった資質は「着想」。

アイデアマンが多いのか。

続いて「社交性」「ポジティブ」「最上志向」

なかなか前向きで、活発なキャラが多いようだ。

結構似たもの同士だね、ということになったが、そうなると逆にその人にしかない強みに注目が集まる。

自分はいかに人と違うのか、というのがその集団の中での価値なのだ。

自ずと、まだ診断していない人の資質はなんなんだ、という話題になる。

かわかみさんの診断結果を他のメンバーで予測。

一生懸命ひととなりを思い浮かべて、強みはなんだ、意外とこうじゃないか、とか勝手に盛り上がる。

こういう議論の仕方がこのメソッドの活用方法として正しいかどうか分からないが、人をおもんばかる空気は作ることができる。

開票結果を魚にした宴会は大盛り上がりであった。

宴会よければすべてよし、である。
化石労働
18世紀末からはじまった産業革命は、石炭や石油などの、いわゆる化石燃料を用いた動力の革命という言い方ができる。

堀さえすれば出てくる化石燃料を社会にインプットすることで、経済成長を高性能アンプのように増幅させた。

しかしながら、その化石燃料から排出されるCO2が地球環境によろしくないので、いろいろと規制しようというのが昨今の環境問題だ。

ポイントは、化石燃料の価値は、掘り返すコストよりはるかに高いので、財としてとても魅力的ということだ。

対価よりもはるかに価値があるもの、これは経済にとっては打ち出の小槌で、このような眠れる資源をうまく活用したいものである。

ところで、徳島県の「いろどり」という会社が脚光を浴びている。

料理を飾る「つまもの」を扱う会社で、町おこしや高齢者がいきいきと働いている好事例として紹介されている。

「つまもの」はそれほど単価は高くないのだろうが、高齢の働き手の報酬水準とうまく合致しているのだろう。

働き手が望む賃金レベルや働き方をうまくマネジメントできるなら、高齢者や主婦は、まだまだ価値を生む眠れる資源だと思う。

正直、パソコンなんかはすぐできる。

他人と調和的に仕事をする常識的な判断力、生活者としての経験値など、そのポテンシャルはとても高い。

人生経験が蓄積されて、上手に点火されることを待っている。

このような眠れる労働力を「化石労働力」といっては語弊があるか。

うまくその能力を掘り起こすことが、事業にとっても、ひいては社会にとっても大事だと思う。
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